「いいよ」と言うことに、慣れていた。
誰かに何かを頼まれたとき。
予定を聞かれたとき。
少し無理をしてでも、
「大丈夫」と答えたほうが
その場が丸く収まるような気がして。
だから、考えるより先に言っていた。
「いいよ」
その言葉は、
とても便利だった。
相手を困らせなくて済むし、
嫌な人にもならなくて済む。
何より、
その場では話が早い。
でも、ときどき後になって思う。
「あれ、本当はどうしたかったんだろう」
自分の気持ちより、相手の都合を先に考えていた
断ることが苦手だったのだと思う。
でも、今振り返ると、
単純に「断れない性格」だったというより、
自分の気持ちを確認する前に、
相手のことを考える癖があったのかもしれない。
相手は困らないかな。
嫌な気持ちにならないかな。
迷惑かな。
せっかく誘ってくれたのに。
そんなことを考えているうちに、
「いいよ」
と言っている。
自分がどうしたいかを考える前に、
答えを出してしまう。
「嫌」じゃなくても、立ち止まっていい
もちろん、
誰かのお願いを引き受けることが悪いわけではない。
誰かのために時間を使うことも、
家族の予定を優先することも、
友達の誘いに応えることもある。
それは、それでいい。
ただ、
「本当はどうしたい?」
と一度自分に聞いてみる。
それだけでも、
少し違うのかもしれないと思うようになった。
「今日は難しいな」
と思っていたのに、
反射的に「いいよ」と言っていないか。
「少し休みたい」
と思っていたのに、
また予定を入れていないか。
「今は自分の時間がほしい」
と思っていたのに、
誰かの予定を優先していないか。
大きな決断じゃなくていい。
まずは、
自分の気持ちに気づくところから。
「いいよ」の前に、一呼吸
最近は、
「いいよ」
と言いそうになったとき、
ほんの少しだけ立ち止まるようにしている。
すぐに答えなくてもいい。
「ちょっと確認してから返事するね」
でもいい。
そこで自分に聞いてみる。
本当にいい?
今の私はどうしたい?
無理していない?
それでも「いいよ」と思えたなら、
その「いいよ」はきっと、
前より自分の気持ちに近い。
誰かに合わせるための「いいよ」ではなく、
自分でも「いいよ」と思える「いいよ」。
そんな返事が少しずつ増えたら、
暮らしも、自分との関係も、
ほんの少し変わるのかもしれない。
今日の静かな問い。
断りたいのに、
「いいよ」と言っていませんか?
答えは、
すぐに出さなくてもいい。
ただ一度、
自分に聞いてみる。
本当は、どうしたかった?
自分を取り戻す暮らしを、日々の中から。
kira
